2017年9月21日

祖父の肺がん治療から思うこと

3年前の秋に祖父に肺がんが見つかりました。それまで家族にがんの人もいなく、「がん=死」とイメージがあったのでとてもショックでした。同じように祖母や両親もショックを受けていました。しかし悲しんで立ち止まってる暇はなく、すぐに入院して抗がん剤治療が始まりました。私は毎日お見舞いに行くことはできなかったのですが、毎日通っていた祖母の話を聞いているとそれは壮絶なものでした。髪の毛が抜け、発熱、嘔吐、だるくてだるくて…と。抗がん剤治療が落ち着いたところで一度1泊で自宅に戻ることができました。お酒が大好きで毎日飲んでいた祖父ですが、薬のせいなのかおいしくないと言ってほとんど飲まなかった姿を見てとてつもない寂しさに襲われたことは今でも忘れません。私は聞かされていなかったのですが、肺がんは発覚した時点で末期であり、あと2ヶ月もつかどうかと言われていたそうです。外泊から病院に戻り、次はお正月に自宅に戻ることを目標とし治療を再開時しましたが、みるからにどんどん弱っていきました。お正月の外泊は叶わず、病院におせちを持ち込み家族で静かに過ごしました。乾杯をするとき「家族みんな仲良くな」という祖父の言葉は常に心の中にあります。祖父も自分はもう長くないことは気づいていたのでしょう。その中での最後の願いだったに違いありません。年が明けて2週間、最初にお医者さんの言った通り、肺がん発覚から2ヶ月で祖父は息を引き取りました。見つかったときにすでに末期であったなら、苦しい抗がん剤治療をする必要があったのか、末期であることを本人が聞いていたらどんな治療を希望したのだろうか。発覚から2ヶ月でお別れがきてしまうのなら、本人もやりたいこと、伝えたいことがあったのではないか。もう決してやり直すことも聞くこともできませ。1日でも長く生きてもらいたいと思いつつも末期乳がんの抗がん剤治療は必要だったのかこんな疑問を抱えたまま祖父のいない悲しみとともにまた歩み出したのでした。